安田 菜津紀さん講演 12.8北海道集会を開催しました
掲載日:2016.12.08
12.8北海道集会実行委員会、北海道平和運動フォーラム、戦争をさせない北海道委員会が主催する「12.8北海道集会」が12月8日、自治労会館にて開催された。350人が参加した。
「12.8北海道集会」は、1941年12月8日の太平洋戦争開始日を振り返り、二度とこのような悲惨な歴史を繰り返さないことをスローガンに掲げ、1994年から毎年開催している。
主催者挨拶で北海道平和運動フォーラムの江本秀春代表は、「アメリカの次期大統領にトランプ氏が選任され、国防長官には、戦争で人を殺すのに快感を覚えると暴言を吐き、狂犬と呼ばれる軍人が就任するという報道がある。フランス大統領戦では極右の候補者の当選が語られている。アメリカやヨーロッパでの右傾化が目を引く。何故か?一つは格差社会に対する国民の不満からではないか。ヒトラーが政権を担った時代が思い出される。日本でも右傾化が顕著で、安倍政権のこれまでの自民党政権にはなかった数に頼った強権的な政権運営には、日本の未来に危うさを感じてならない。報道では、安倍政権は大学への交付金を減らす一方で、大学の研究者に軍事研究費を交付すると報じられている。政財学が共同して軍事研究を行い軍事産業の育成に寄与することを宣言したのも同然。アベノミクスの成長戦略の一環に武器輸出があることは誰の目にも明らか。1961年、昭和36年1月に退任したアイゼンハワー大統領の退任あいさつで、今後のアメリカに最も気がかりなのは軍産複合体の存在だと述べた。第二次世界大戦で肥大化したアメリカの軍事産業と軍との結びつきを危惧しての発言。今、世界で問題となっている難民の多くは、シリアなどに見られる武力紛争から生まれたことは明白。軍事産業のために世界の平和が危うくなっている。現状をみるとアイゼンハワーが危惧していたことが現実のものとなっているのではないか」と、あいさつした。
主催者を代表して挨拶する北海道平和運動フォーラムの江本秀春・代表
講師には、テレビ出演も多く、様々な場面で活躍している安田 菜津紀さん(フォトジャーナリスト)をお招きし、「写真で伝える世界の今 紛争の爪痕から逃れて」と題して講演があった。
安田さんは「今日、12月8日。私たちは何を繰り返してはならないのかを改めて認識する日ではないか。主に2つのお話をします。1つ、私の活動の原点となった国、カンボジア。紛争を経てきた国のお話。2つ、今現に紛争の最中にある、イラク、シリアについて、写真を通して、皆さんにお伝えしていきたい」と切り出した。
「カンボジアは十数年前まで、紛争の混乱の中に置かれていた。1960年代終わりごろ、世界は二つの勢力に分かれた冷戦状態だった中、カンボジアの隣国ベトナムを米国が攻撃して始まったベトナム戦争に巻き込まれてカンボジアにも徐々に戦禍が迫っていった。その混乱の中誕生したのが、ポルポト政権。恐怖政治を敷いたと言われており、刃向ってくる人、刃向ってくる可能性のある人を徹底的に粛清するという。特に標的になったのが知識人だったと言われている。当時はメガネをかけているだけで知識人だと疑われ粛清されたという話もある。ポルポト政権が支配していた3年8ヶ月で、虐殺、餓えで命を落とした方は国民の5人に1人。混乱は90年代後半まで、約30年近く。その後、和平が結ばれ、即平和になったかというと、そうではないということが今も残されている。例えば、地雷。いまだ400万発は残っていると言われている。それを全て除去するのに何年かかるか?和平が結ばれて20年は経過しており、処理技術が進んでいても、年平均で4万発の除去しかできない、つまり全部無くすのには100年は必要な計算。私たちは、何故、武力に手をつけてはならないのかという答えの一つが、カンボジアにあるのではと、わたしはずっと感じてきた。戦争が終わり、紙上で「和平」を締結しても、カンボジアのように100年近くかけて、本来争いとは全く関係のない方々が傷つき続けなければならない。それが武力に手をつけてはならない一番の理由だと思う。
参加者に問いかけ、やりとりしながら講演は進められた
私が初めてカンボジアに足を運んだのが16歳、高校2年。NPO法人、国境なき子どもたち、アジア各国で教育支援をしている団体のプログラムで取材しに行ったことが原点となった。トラフィックトチルドレンという言葉がある。売買された子供たちという意味。和平が結ばれてから貧困層が農村部に集中した。戦争が破壊した社会システムが貧困となり弱い立場の人たちに襲い掛かる。
中東情勢に関わらせて頂く原点となった国がシリア。2011年3月、東日本大震災と時同じくして、大きな反政府デモが発生。それがシリア国内に波及し、現在の内戦へと繋がっていった。内戦の原因は様々な要因が絡み複雑だが、簡略化して言うと、バッシャール政権率いるバアス党が40年もの間統治していた。それに対し、表現の自由であったり、いろんな自由を求め立ち上がった。その政権の後ろにいるのがロシアやイランだと言われている。政権に反対する勢力の後ろに居るのがアメリカ、トルコ。大きな国々の思惑も絡み戦闘が続いている。シリア国内の比較的安全な地域に住む人と、国外に避難した人、併せて1000万人を超えたそう。元の人口規模が2200万人。ほぼ半数が避難生活という状態。
戦地戦場の印象が強いシリアだが、2009年、内戦に突入する前は、比較的情勢も安定していて、治安のよい国とされていた。世界中からバックパッカーが集まっていたような国。隣のイラクから難民を受け入れる国だった。100万人近く、難民を受け入れていた。
最近は、ヨルダンで取材を続けている。ヨルダン側にシリアから逃れてきた人たち、正式登録されているだけで60万人以上。ヨルダンの元々の人口が、600万人強。10人に一人がシリアから逃れてきた人たち。日本に例えると、1000万人以上が難民として逃れてきたような感じ。
ヨルダン北部に位置する一番大きな難民キャンプがザータリ難民キャンプと呼ばれる場所。6万人規模の敷地の中で、今、8万人が暮らしている。難民キャンプを適正に運営できる、水や食料をすべての人たちに行き渡らせ、インフラを整え、適正運営をする限界は、2万人と言われているが、すでに4倍の人数を収容している。砂地のキャンプ地で、砂が舞い上がることで、子供達の喘息疾患が増えている。国連の配給でパンを与えられても、すぐにそれを売りに出す親子がいた。着の身着のまま避難してきたため、服などがない。難民キャンプにいると、自由に働くことができないため、お金を得ることができず、配給の食料を売り、わずかなお金に変える人が居る。
ザータリ難民キャンプ内には、学校が3つ作られた。8万人に対し、3つ。今、増やす努力はして居るが、全然追いついていない状況。せっかく入った学校であっても、悪環境の中、学校を辞めていく子供たちが多く存在する。辞める原因は、過酷な環境だけではなく、勉強して何になるの?戦争は終わらないし、シリアに帰れないし、大人になっても難民キャンプに暮らして居るんだ、ここで暮らしていたら、働くことが認められないのに、勉強して何になるの?と。大人たちは返していく言葉がないそう。
小さな子供達の命が失われていくことを何度も目にした。その度に、自分の仕事の価値を見失うことになる。写真という仕事では、直接人を救うことができないから。もしも、学生の時に、シリアに通い続けていた時に、医者になるという選択をしていたらどうなっていただろう。NGOで働く選択をしていたら、どうなっただろう。伝えると銘打って、現地から離れ日本に帰国することに意味があるのだろうか。そんな時に、現地のNGO職員にいただいた言葉があり、今でも大切にしている。「菜津紀さん、これは、役割分担なのですよ」と、NGO職員は、現地にとどまり、寄り添うことができても、現状を発信するということがとても難しかったりする。あなたは、通い続けることはできるし、ここで何が起こっているのか、世界に発することができるじゃないか、と。一人の人間が全ての役割を果たすことはできない。ちょっとずつ、できることを持ち寄りあうことが大事。私が受け止めてきた言葉を、今日、この会場にいらっしゃる沢山の方々が聞き、受け止めて、拡散してくださることで、持ち寄れる役割が増えるのではと思う。
2015年2月1日。 ISの領域から悲しい知らせが入ってきた。ISの犠牲になった、後藤健二さん、湯川春菜さんの冥福を祈ろうとヨルダンの人たちが追悼集会を開いてくれた。集会参加した人は100人を超えた。シリアの人々は、自分の身の回りで常に殺戮が続いている。そんな時にも、国籍、国境を越え、祈りを捧げてくれた。 2016年4月、熊本地震が発生したとき、シリアの友人たちは真っ先に、Pray for Kumamoto、とメッセージをくれた。それと同じくらい、彼らの国の平和を祈ることができているだろうかと、できていたのだろうかと、大きな宿題をもらったと思っている。
私たちは日本に居て、シリアの人々に対し、どんな役割を持ち寄れるだろうと考える」と、参加者に向けて問題提起しながら、シリアの話しを終えた。
続いて、東日本大震災の話について、「高田松原の7万本の松林が、津波に流され、奇跡的に1本の木が残った。この場所は岩手県沿岸で一番南に位置している陸前高田市。2011年3月11日、午後2時46分、皆さんはどこに居ましたか。札幌でも長い揺れがあったと聞いて居ます。私の義父母が陸前高田に住んで居たが、震災後訪れたら、まちの中心地はごそっと波にさらわれた痕しか残って居なかった。陸前高田の避難所で、一人の年配の女性から声をかけられた。「あなたは外国によく行っているんでしょ。外国のこと教えて」と。どうして?と聞いたら、「今まで、外国で戦争が起こっても災害が起こってもずっと他人事だった。だけど、自分たちが家を流されてみて、初めて、その人たちの気持ちがわかったような気がする。だから外国のこと教えて欲しい」と。
講演会終了後は、安田さんの書籍の購入者がサインを貰うため、長い列ができた
私がお世話になっている仮設住宅で、温かい気持ちをシリアへと寄せてくれた人たちがいる。シリアの子どもたちが、無事に冬越えが出来ますようにと、余っている物資や、被災地の子どもたちが大きくなり使わなくなった服等を皆に呼びかけ集めてくれたことがあった。皆、色んな所から支援を受けてきた経験があるので、何をどうやって梱包したら、受け手は受け取りやすいかまで把握して梱包してくれた。自治会長さんは、自分たちは世界中からの支援で少しずつ復興してきたから。今度は恩返しというか、恩送りをしたいと。戦禍で暮らしているわけではないが、ある日突然日常生活を奪われた、その光景を目の当たりにし、自分たちの持つ想像力を外へ拡げること。即効力にはならないかもしれないが、傷ついている人達を支えるということに対し、私たちは必ず、持ち寄れる役割があるはず。
シリアで妊婦さんと知り合った。お母さんたちは、口々に「戦争も紛争も続いているこの世界に、子どもたちを生んでいいのかな」という問いかけをされたこと、一度や二度ではなかった。生まれてきた命が、生まれてきて良かったと思えるような優しい世界を築くために。友人から先日言われた言葉。「あなたがもし沈黙したら、世界はどうなると思う?沈黙が集まった世界こそ今の世界なんじゃないか」と。私たちが持ち寄れる一番身近な役割、それは沈黙しないこと。声をあげていくこと。多くの人々と共有していくこと。皆さんと一緒に、どんな声を持ち寄れるのか、これからもどうか考えさせてください。ありがとうございました」と講演を結んだ。
閉会挨拶で、林炳澤・12.8北海道集会実行委員会共同代表は、「隣国、韓国の問題。問題の本質は、民衆が立ち上がっていることを、私たち民衆は認識せねば。現大統領を選んだ人も、選ばなかった人も、国家の代表が過ちを犯したとするなら、主権者はそれを正していかねば。私たちは歴史の傍観者ではなく、歴史を正していく参加者として生きていかねばならない。私たちは安倍政権の反動姿勢に対し強く批判し、戦争法に反対してきた。強行採決の後、今は南スーダンPKO問題に立ち向かっている。注視、発言し、行動していかねばと思う。難民問題を通し、戦争が起こればどうなるのか、平和の大切さを改めて学習できたのではと思う。本日のご講演を糧とし、明日からの運動に変えていきたい」と訴え、本集会を締めくくった。