「不戦の日! 8.15北海道集会」を開催しました


掲載日:2016.08.15

北海道平和運動フォーラムと8.15北海道集会実行委員会は、8月15日に元朝日新聞社記者の植村隆氏を招き、「歴史修正主義と闘うジャーナリストの報告~私は捏造記者ではない~」と題し、講演を行った。植村さんは日本が過去の戦争で加害者となった歴史を封じ込めようとする動きに警鐘を鳴らした。300人が参加した。

お盆の8月15日にも関わらず、300人が参加し、植村さんの講演を聴いた

お盆の8月15日にも関わらず、300人が参加し、植村さんの講演を聴いた

主催団体を代表して、北海道平和運動フォーラムの江本秀春・代表より挨拶の後、植村隆さんは映像データを駆使して講演を開始した。

主催者を代表して挨拶する北海道平和運動フォーラム代表の江本秀春・弁護士

主催者を代表して挨拶する北海道平和運動フォーラム代表の江本秀春・弁護士

植村さんは、1991年に「韓国の団体がソウルの元慰安婦の聞き取り作業を始めた」という記事を書いたのがもとで、西岡力氏(現・東京基督教大学)から「捏造」などと批判された。その後、週刊文集が西岡氏のコメントを掲載、この記事が出てから後は、ジャーナリストの櫻井よしこ氏からも「捏造記者」呼ばわりされ、激しいバッシングを受けた。

職場に名指しで、「殺す」「辞めろ」というメールが殺到し、ネット上に娘の名前と写真がさらされ、「自殺するまで追い込め」と書き込まれた。、

当時放映されたテレビ番組を実際に放映しながら、熱心に講演する植村さん

当時の新聞記事や、当時放送されたテレビ番組を実際に会場で放映しながら、熱心に講演する植村さん

植村隆さんは、まず、NEWS23(2014.12.23放映)で、北星と植村さんへのバッシングをテーマにして6分にわたって詳細を伝えた映像を会場にて放映した後、キャスターの岸井さんが「一連の圧力の背景に歴史の事実を書きかえようとする勢力がいる」と鋭い指摘をしていると語った。

次に、DVDドキュメンタリー「終わらない戦争」の中で紹介された1991年8月14日の金学順(キム・ハクスン)さんの記者会見の様子を放映。植村さんを攻撃する歴史修正主義者らは、「キムさんは挺身隊として連行されたとは言っていない、と主張しているが、本人が挺身隊として連行されたと言っている」、と生の映像を披露しながら、自らの正当性を訴えた。

そして、植村さんの娘さんの裁判の結果を伝えた8月3日のNHKニュースを放映した。娘さんが、ネットで中傷の書き込みをした投稿者を相手取って起こした裁判の判決が8月3日午後、東京地裁で言い渡され、原告が請求した170万円満額が認められた原告側全面勝訴のニュースだ。植村さんは、「代理人の弁護士が次のように読み上げた。『匿名の不特定多数からのいわれのない誹謗中傷は、まるではかり知れない闇のようなものだった。こうしたことは他の人にも起こりうる出来事。こうした攻撃にさらされることのない社会になってほしい。今回の判決が、そのきっかけになってほしい』と。娘の毅然として戦った姿に、とても励まされた。自身の裁判も負けられない」と熱く語った。

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また、何故、自らが標的にされたのかについても、客観的に語りました。一つには1990年代後半から歴史修正主義のバックラッシュがあり、植村さんは、「国連のデービット・ケイ氏が4月に政府や報道関係者の聞き取りをもとに調査結果を発表し、日本の報道の自由が脅かされていると指摘した」と話し、その中には「慰安婦問題を報じた元朝日新聞記者の植村隆氏やその娘に対し、殺害予告を含む脅迫が加えられた。当局は脅迫行為をもっと強く非難すべきだ」と指摘したことを紹介。これについて、植村さんは「報道の自由度が世界で72位と低いのは報道者が圧力に屈していることを物語っている。世界が日本をどう見ているか、私たちに何ができるのか?」考えてほしいと訴えた。

慰安婦問題の日韓問題にも触れ、「少女像を移転させては駄目だと考える韓国市民が76%もいて、特に若い世代が多い。少女像の前で交代でテントを張って、像を見張っている」と話し、現場写真も紹介した。植村さんは、日本人の心の中にも、「少女像」を、という考えを持って欲しいと話した。

最後に、「私を攻撃しているのは改憲論者たちだ。言論・報道の自由、元慰安婦の尊厳を守るために戦い続ける」と決意を述べ、講演をしめくくった。

閉会挨拶する8.15北海道集会実行委員会共同代表の林 炳澤(イム ピョンテク)さん

閉会挨拶する8.15北海道集会実行委員会共同代表の林 炳澤(イム ピョンテク)さん

集会アピールを採択した後、8.15北海道集会実行委員会共同代表の林 炳澤(イム ピョンテク)さんより、閉会の挨拶があり、講演を終えた。