報告 被爆65周年原水爆禁止世界大会


掲載日:2010.08.12

今年も8月4日から6日まで被爆65周年原水爆禁止世界大会広島大会が開催されました。北海道からは135名が参加。
4日は猛暑の中、平和資料館前からグリーンアリーナまでの約1キロを全国から集まった仲間とともに、折鶴平和行進をしました。

その後、原水禁・連合・核禁会議三団体共同開催の「核兵器廃絶2010平和ヒロシマ大会」(開会総会)に参加。6,800名が参加。
5日は各々が7つの分科会、1つの特別分科会、5つのひろば、2つのフィールドワーク、3団体による平和シンポジウム等に参加、子供たちは、慰霊祭、フィールドワーク、ダイイン、また午後からの「メッセージfromヒロシマ2010」に参加し、踊りや平和のモニュメントの作成、平和のメッセージを核保有国の代表宛にメールで送信しました。「メッセージfromヒロシマ2010」では江別から参加の高野唯さんが元気にアピールを行ってくれました。
6日は平和祈念式典に参加後、中国新聞ホールで開かれたまとめ集会に参加しました。まとめ集会では、非核三原則の法制化や臨界前を含むすべての核実験の禁止、脱原発社会の実現などを求める「ヒロシマ・アピール」が採択され、あわせて日本とインド両政府が原子力協定の締結交渉を始めたことに反対する特別決議も採択されました。650名が参加し広島大会の日程は終了しました。

8月7日からは被爆65周年原水爆禁止世界大会長崎大会が開催されました。北海道からは31名が参加。広島大会につづいて三団体共同開催の「核兵器廃絶2010平和ナガサキ大会」には4,500名が参加。
大会は川野浩一原水禁議長の挨拶、主催者を代表し、連合の南雲弘行事務局長が挨拶。来賓として、中村法道長崎県知事、田上富久長崎市長が挨拶に立ちました。
また、海外来賓からの挨拶、被爆者の訴え、高校生平和大使報告と決意、構成詩「親子で綴る平和の願い」などが行われ、最後に、「日本政府は非核三原則を堅持し、核廃絶の具体的な進展に向けた積極的な役割を果たすべきだ。三団体は多くのNGOと連携し、国内外世論の喚起に取り組む」とするアピールを確認し、「原爆を許すまじ」を合唱し閉会しました。
8日は8つの分科会、6つのひろばと1つのフィールドワークの他、3団体による平和シンポジウムが行われました。

9日は淵中学校への墓参後、県立総合体育館で行われたまとめ集会に参加。約2,200名が参加。川野浩一大会実行委員長の主催者挨拶や高校生国連平和大使、核廃絶高校生1万人署名実行委員会からの訴え、長崎から沖縄へ原水禁平和行進のタスキリレー返還、海外ゲストを代表し、アメリカの先住民アコマ族のメニュエル・F・ピノさんが連帯のスピーチ。藤本泰成大会事務局長の大会のまとめが行われました。その中で、藤本事務局長は「世界には核抑止論への根強い信仰があるが、原水禁は決してこれを許さない」と訴えました。集会は最後に、5月のNPT再検討会議を「不十分さはあるが核兵器廃絶への展望を開いた」と位置付け、広島市の平和記念式典に潘基文国連事務総長やルース米駐日大使が初めて出席し潘事務総長が核兵器禁止条約の制定を訴えたことを「大きな前進」と評価。その上で「日本政府は非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定すべきだ」とする大会宣言を会場の拍手で採択しました。そして、爆心地公園までの約1.2キロの平和行進をして、原爆投下時刻の11時2分に黙とうを行い、すべての日程を終了しました。