報告 脱原発社会の実現を求めて1万2000人が集まる!


掲載日:2012.10.16


10月13日(土)、札幌市大通公園で「さようなら原発北海道1万人集会」が開催され、全道各地から1万2000人が集まりました。
集会では、「さようなら原発1000万人アクション北海道」の呼びかけ人である、脚本家の倉本聰さんや、作家の雨宮処凛さん、北海道大学名誉教授の小野有五さん、国立北海道がんセンター院長の西尾正道さんがそれぞれ、「原発は絶対に反対だ」と訴えました。また、脱原発頸長会議に参加している上田文雄・札幌市長も連帯の挨拶をしました。

倉本聰さんは、「超党派の原発ゼロの会から、ロゴマークのコンセプトを考えてくれと頼まれ、ミズクラゲがいいんじゃないかと提唱した。それは、大飯原発が再稼働する時にミズクラゲの大群が押し寄せて再開を遅らせたからだ。僕は、自然からの反原発運動だったような気がした。今度の選挙では、全候補者のポスターに、ゼロの会のマークを張って欲しい。原発いるのかいらないのか、はっきりさせてほしい。今度の選挙は原発是非を問う国民投票だと思う」と述べました。

上田市長は、「昨年6月、札幌市議会は国に対して、原子力に頼らないエネルギー政策に転換せよという決議を全会一致で可決した。これらは192万人札幌市民の総意である。原発に頼らないエネルギー政策に変えること。このことに背を向けてはならない」と訴えました。

各地からの報告では、原発問題後志住民の会の大石美雪さんや、大間原発訴訟の会の中森司さん、核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会の久世薫嗣さんが発言しました。

最後に、鈴木由妃江さんが「福島原発事故は、本当の「豊かさ」とは何か、その問いを私たちに投げかけた。命と暮らし、子どもの未来のために脱原発社会をつくり上げよう」とする集会アピールを読み上げ、その後、参加者は2コースに分かれて、「再稼働反対!」「原発なくそう!」「自然エネルギーにかえよう!」などと訴え、札幌市内をデモパレードしました。
「3.11」以降の脱原発集会では、北海道内では最大規模の集会。「さようなら原発1000万人アクション北海道実行委員会(事務局:北海道平和運動フォーラムなど)」の主催。

集会での発言(要旨)は、順次、掲載していきます。







未来の子どもたちのために泊原発の一日も早い廃炉を!

(北海道大学名誉教授)小野有五さん
皆さん、今日はこの1万人集会に来ていただき本当にありがとうございます。昨日は前夜祭をやりましたが、900人近くの方が来てくださいました。今、東京でも同じ1時から日比谷公園で大きな集会をやっています。日本全国で皆が声を挙げようということで、今日は札幌で出来るだけ大きな集会をやりたいと思っていましたが、こんなにたくさん来てくださって本当に嬉しく思っております。
日本海の海底の活断層は「集会アピール文」に書いてある以上のものが最近になって分かってきています。1993年に北海道南西沖地震が起きて、奥尻島で230人の方がお亡くなりになりました。けれども、あの時の活断層が、一つ東側の活断層が動いていたら、あの津波は泊原発を直撃していたのです。ですから、私たちはもう、93年に生きていなかったのかも知れない。私たちの代わりに奥尻島の方たちが犠牲になったのです。
ですから生き残った私たちは、今こそ、これからの北海道のために、そして未来の子どもたちのために、泊原発を一日も早く廃炉にしたいと思います。今日は、そういう大きな声を皆さんであげて頂きたいと思います。

少ない放射線量でも遺伝に影響がでる原発はシャットアウト!

(国立北海道がんセンター院長)西尾正道さん
3.11以降、僕たちは生き方を根本的に考え直さなければならない事態に直面したと思っています。私自身は、がん治療だけしかやってこなかった医者で、なおかつ、放射線を使ってガンを治療するということに携わってきました。しかし、そこで放射線防護に関する知識というのは医療関係者の全ての教科書は、基本的には原子力推進という立場で書かれたICRP勧告に準じた内容になっています。
今回の事故を契機に僕は放射線の陰の部分、裏の部分を勉強することができました。その過程で、とんでもない嘘と隠ぺいと、不都合な真実は無視するという徹底した姿勢で日本の原子力政策が進められてきたということがわかりました。実際に、この夏場も乗りきれました。今日の新聞で、我々がきちっとした節電、節約をしたらなんとかなるという目途があります。是非、原発のない社会にしたい。
そもそも事故が起こる以前の問題として、使用済み燃料の処理もできていないのです。さらに、ウランを燃やすことによって、1億倍の放射性物質を作り出しているのです。それを地球に貯蔵していくことによって、人間の未来を失うような社会にしてはいけないと思っております。
それから、1号機の内部が公開されていましたが、実際には1時間あたり11.1シーベルトが出ていて、そこに人間が40分いたら死んでしまう線量だと、皆さん新聞でお読みになったと思います。しかし考えてみてください。「8シーベルト浴びたら全員死亡します」と一応教科書的にはなっています。ところが、8シーベルトというのを熱量換算してみると、1㎏のものに1ジュールの熱を与えたら、1シーベルトですから、例えば60㎏の人が8シーベルト浴びると480ジュールです。480ジュールとは、カロリー換算するとたった115カロリーです。115カロリーを与えられたら、人間はみな死にますか?おにぎり1個食べて、みんな死にますか?ということは、放射線のこういった被ばく線量の数値というのは、全く生物の細胞レベル、遺伝子レベルで起こっている現象を説明していない、しきれていないということです。
これは科学の限界ですが、人間の遺伝子に傷がつくというのは、放射線の線量が少なくても傷はつきます。そして線量が少ないからと言って傷ついた遺伝子が100%正常に回復するとは限りません。今、チェルノブイリで何が問題になっているかというと、孫の世代に先天障害がたくさん出ている。こういう事態が起こっているわけです。放射線は目にも見えないし、臭いもしません。その場は何も感じないかもしれないけれども、放射線を浴びることによって、確実に遺伝子に傷がつく。ある確率で傷がつきます。それが、継代的に傷がついた遺伝子が生き残って、最終的に生きられなくなったり、ある種の先天障害の原因になったりします。こういう世界はシャットアウトしたいと思います。
今回、もし万が一、泊原発で事故が起こった場合に、小樽や札幌は住めない地域になります。しかも一次産業で成り立っている北海道の経済は、全滅します。観光も全滅します。我々の経済活動も完全にシャットアウトされる事態になります。後悔先に立たずという言葉を、もう一度皆さん胸にしまい、とにかく原発はなくても、こんな大きな大地を有効利用して自然再生エネルギーを使う思考に変えていきたい。そうすることによって、より健康な生活が保てるだろうと思います。これを契機にして、我々の生活を見直して、泊原発を止める、そういう意識で皆さんと一緒にやっていきたいと思います。

試される季節、「節電」という消費者の力で乗り切ろう!
札幌市長 上田 文雄さん

札幌市長の上田文雄です。心からの連帯のご挨拶を申し上げたいと思います。
「3.11」は、圧倒的な市民が、原発は安全だと聞かされていたものが、そうではないんだということを身を持って感じ、そして、今こそ立ち上がらなければ、命や生活を守ることが出来ないんだと確信をする、そういう瞬間であったと思います。皆さん方が、身を持って闘う、立ち上がるという決断をし、お集まりになられ、本当に心からの敬意を表したいと思います。
「3.11」から3か月経過した昨年の6月30日。札幌市議会は68人の議員さんが全会一致で、国に対して「原子力に頼らないエネルギー政策に転換せよ」という決議をされました。これは192万人札幌市民の総意であります。「原発に頼らないエネルギー政策に変えること。そのことに背を向けてはならない。」是非、皆さん方の声がしっかり届く、そういう行動を徹底し続けなければなりません。
国会の周辺で毎週金曜日、多くの市民の方々が、自分たちの意思、声なき声を伝えようと立ち上がっています。札幌でも道庁に多くの市民が集まっています。今、私たちは民主主義の回復を私たちの手によって成し遂げなければなりません。市民に背を向けた政治や経済を打破する運動をしていかなければならないと思います。
私たちは節電という、大きな消費者としての力を持っています。(電気を)使わない努力を限界まで頑張らなければならない。また、頑張ることができると示さなければならない。北海道民は厳しい寒さと闘って、今日までこの札幌、北海道をつくってきた。その誇りを持ってこの冬を乗り切る、そんな運動にしていかなければなりません。
北海道電力は石狩に10年後、ガスタービンで50万kwを5基、LNGを用いた発電所を作るという計画があるそうです。私は政府に対して、電力やエネルギーを作る事業者、専門家が一丸となって原発に代わるエネルギーを創出することに努力を向けることを求めたい。
多くの皆さん方が、小さなエネルギー、小さな力を結集して、大きなエネルギーに転換していくことが試される季節がまいります。ウォームシェア、素晴らしい発想だと思います。多くの皆さんが肩寄せ合いながら自分の家の電力をどれだけ、どのエネルギーをどう上手に使うかを考えて実現していく。これから私たちが試され、自らを鍛え直す、我々の社会を鍛え直す、そういう時間に転換していきたいと思います。
私の立場からも皆さんと連帯をして、安心して将来、私たちの子孫がこの北海道で豊かな生活をし、豊かな文化を育み、永遠と我々の歴史を引き継いでくれる、そんな社会を実現するために、頑張りたいということをお誓い申し上げまして、連帯のご挨拶とさせて頂きます。

デモが普通に!脱原発が達成されるまでしつこく活動していきたい!
作家・活動家 雨宮 処凛さん


【雨宮さんの発言は、司会進行役の伊藤友香さんとの「トーク」形式で行いました】

司会)今日は、「さようなら原発北海道1万人集会」にこれだけ多くの方にお集まり頂きました。先ずはご感想をお聞かせください。
雨宮)今、これだけの人がいるということは、最悪の震災と原発事故でとっても悲しく辛いことばかりが起きているけれども、いろいろな人たちが、とにかく何とかしなくては、自分たちの将来や次の世代、地球レベルでこれからの事を考えて集まっていると思うと、本当に感動するし、希望を貰えるし、人間が信じられます。

司会)雨宮さんは、「3.11」以降、原発問題を一から学んで昨年「14歳からの原発問題」という話をお書きになられましたが。
雨宮)震災の後、東京に避難してくる福島の方の話をたくさん聞きました。「放射能によって家族が分断されてしまった。」「原発から数㌔の場所に住んでいたのであわてて逃げて、毛布と現金だけ持って何もない中で生活を始めなければならなかった。」「新築の家に一回も住まないままに事故が起きてしまった」などいろいろ話を聞いて、自分の地元の北海道で起こったら、どうしたらいいんだろうという思いになりました。
(原発は)怖いなと思いながらも何も表現してこなかったということは、結局、原発の「安全神話」を補強することに無意識でも加担していたととても反省しました。
もう一つは、反省があります。私が初めて「NO NUKES」という言葉を掲げてデモしたのは、イラクのバクダットでした。湾岸戦争で初めて劣化ウラン弾が実戦に使用されたのですが、劣化ウラン弾とは核や原発のゴミを兵器に転用した爆弾です。それがイラクに大量に落とされて、その8年後にイラクに行ったら、子どもたちのガンや白血病が何十倍にも増えて、先天性異常の赤ちゃんが沢山生まれるという状況でした。2003年に米国がイラクを攻撃するという時に、また劣化ウラン弾が落とされたら大変なことになると思い、「NO WAR戦争をするな!」「NO NUKES 劣化ウラン弾を落とすな!」とバグダッドでデモをしました。
その8年後に、日本で原発が爆発し、この国が放射能で汚染されました。核のゴミを兵器に転用した劣化ウラン弾の被害を目の当たりにしていたのに、それが日本の原発とそれまでまったく繋がりませんでした。でも、3.11後にいろいろ取材して、日本の原発のウランを米国で凝縮して、ウランの残りカスをそのまま米国に置いてくるから、それが劣化ウラン弾になっている可能性があるということを知りました。日本の原発は劣化ウラン弾という形で兵器に転用されているという側面もあるということは忘れてはいけないことです。
基本的に私は貧困問題を取材していますが、被ばく労働と貧困の関係というのは物凄く根深いものがあります。日本の原発に使うウランを海外で掘り出すところから、被ばく労働は始まっています。最後は残りカスが兵器に転用されて、その土地を汚染し、子どもたちの命を奪っていきます。
最初から最後まで犠牲が必要とされるシステムに大矛盾を感じます。原発は戦後の日本政治の矛盾の象徴といえます。利権が絡み、情報公開はされないなど手続きが非民主的です。民主主義が徹底されたら原発なんて作れるはずがない位、手続き的に大問題がある。
いろいろな側面から、やっと1年7か月前に原発のことを考えざるを得なくなったことに直面しました。ここにいる方も、「3.11」以降、大矛盾を突きつけられて、しかも自分が当事者だということに気づいたという方が多いと思います。私も全く同じです。そういう心の動きをへて、今ここにいます。

司会)自分たちも声を挙げて行動しなければ変わらないということに気づき、金曜日の首相官邸前などのデモをはじめ、全国にもデモの動きが広がっていると思います。政府は、このデモや集会の動きを無視することは出来なくなってきているのではないかと思いますが。

雨宮)無視できないようにするしかないですし、私も毎週金曜日、可能な限り官邸前に行っています。海外メディアも沢山来ていて、時に外国の方には「日本に住む人たちが許したから再稼働するんじゃないか」と怒られます。海外の人からすると「汚染水を垂れ流し、空気を汚している原因の国が再稼働を許すなんて」という怒りは当然です。そして、それが日本人の民意だと思われている。
でも、市民は許していない。許してないからこれだけの人が集まっている。再稼働反対の声をきちんと組み上げてくれない状況があるから全国でいろんな人たちが立ち上がっています。再稼働問題で国際社会から疑われ、何もしないでいると「日本は民主主義はないのでは?」と思われてしまうので、「それは違う。日本に住む私たちは反対しているんだ」ということを世界中にアピールしなければいけないと思います。

司会)「3.11」以前は、デモというとどうしても躊躇があったんですが、大分それが当たり前の権利として市民の中に根づいたなと感じますが。
雨宮)原発のことを言うと、「原発なくてどうすんだ」とか「経済成り立たないじゃねーか」とかいうバッシングがありますが、その批判は直訳すると「黙ってろ」なんです。「黙っている」結果が日本に54基も原発が出来て、地域が分断され、原発に依存せざるを得ない構造をつくり、原発事故で生活を根こそぎ破壊されるという現実を生み出した。国土が失われるというのが黙っていた結果です。放射能や原発に詳しくないのに「物を言うな」みたいなことを言われますが、「黙っていること」が、どれほど恐ろしいことかということを突きつけられたと思います。二度と同じ後悔はしたくないからこそ、みんながデモに出てくる。「黙っていない」ことが、よりマシな未来・社会に近づくための行動だと思っていますし、この国でこの大きな事故を経験して、大人として最低限の責任という気がします。デモが普通になったのは嬉しいし、これでデモとか起こってなかったら、かなり絶望的だし、国際社会から「民主主義ではないんだな」と思われると思います。

司会)最後に参加者の皆さんにエールをお願いします。
雨宮)自分が生きているうちに起きてしまった原発事故に対して、責任は果たしていかなければならないと考えています。脱原発が達成されるまでしつこくやっていきたいので、一緒にがんばりましょう。

自分のエネルギーを使っていた暮らしに、もう一度見直しを!
脚本家 倉本 聰さん

「3.11」から僅か1年7か月。あの頃、二度と原発なんて嫌だと言っていた人たちまでが原発の痛みを忘れたように思います。泊が止まって、大飯原発が再開するまで日本に原発はなかったわけですが、その時にわれわれは、別にそんな大した支障を感じなかったと思います。それが出来たにも関わらず大飯原発を再稼働し、そして、今度は安全だという風に、また第二の神話のような言い方を始めました。
超党派の「原発ゼロの会」からロゴマークのコンセプトを頼まれたので、「ミズクラゲがいいんじゃないか」と提唱しました。それは、大飯原発が再稼働した時に、ミズクラゲの大群が押し寄せて再開を遅らせたからです。僕は、自然界からの反原発運動であったような気がしました。これが受け入れられて、福島の子どもたちが描いたミズクラゲが「原発ゼロの会」のマークになりました。今度の選挙には、全候補者のポスターにこのマークを貼って、「原発いらないのか、いるのか」というのをはっきりさせてほしい。今度の選挙は、原発是非を問う国民投票だと思っています。
今、われわれは「3.11」の後、2つの分かれ道に立っていて、選ぶべき道は二つあると思います。一つは、今の豊かさは捨てられないから原発が要る、そのためには、原発のリスクを負う覚悟を持つという道があります。もう一つは原発のリスクは嫌だから、少し不便になってもいい、昔に戻ろうじゃないかという道です。
1970年代に今戻った時に、われわれのエネルギー消費量は5分の2になります。5分の2という消費量は、今の全世界のエネルギー消費量の平均値です。日本はそれだけたくさんのエネルギーを使っています。今、政府は再生自然エネルギーと言いますが、それは供給者の側の話です。われわれ一般国民は、需要者の側で物を考える必要があると思います。つまり、われわれがどう節約できるかということです。
今、私たちに必要なのは、国民の義務として需要仕分けをするべきだということです。「24時間もテレビを放送する必要があるのか、自販機があんなにある必要があるのか」ということを仕分けし、われわれの生活を絞っていくことです。便利ということは人間がサボるということです。そのために自分が本来使っているエネルギーの消費が抑えられることになります。本来のわれわれの生活、すなわち自分のエネルギーを使っていた暮らしにもう一度見直さなければならないと思います。
私は絶対に原発というものは反対です。なくしたいです。

【原発問題後志住民の会 大石 美雪さん】
私は、泊原発から5~6㎞の地点の岩内町に住んでいます。1号機が平成元(1989)年に営業運転を始め、24年間、不安な思いで見続けてきました。3.11の後、泊原発を廃炉にと心底願っています。しかし、近隣4か町村の町村長は「原発は安全を期待している」の言葉のみで現状維持を決め込んでいます。原発を廃止しても、使用済み核燃料問題が残ります。これからの科学の進歩に託するとしても、現時点では一体も増やすことは許されません。そういう意味においても原発を即止める、それが私たちの意思ではないでしょうか。
昨日、北電は冬場の電力需給量の余力を33万kwと言い、火力発電所の不安も言っています。北電は、消費者のニーズにあった電力を作る責任があります。今はその立場が逆転していて、脅かされているように感じるのは私たちばかりでありません。
明るいニュースもあります。10月11日の農協の全国大会で「脱原発と自然再生エネルギーを活用する」という方針が決められました。北海道は食糧自給率190%で日本の大切な食糧基地です。
国のありようを考え、国の政策を変えていくという思いでいっぱいです。岩内町で「原発ゼロ」の道民署名を集めていて思いますが、このような集会に来ることができない、声に出せない、そういう人たちがいることも知ってください。皆さんとともに「原発ゼロ」をめざし頑張っていきたいと思います。


【大間原発訴訟の会 中森 司さん】
24年前に原発を大間町につくると話が持ち上がってから活動してきました。4年前、国が建設GOサインを出し、その7か月後、活断層学会が津軽海峡、下北半島には40㎞以上の活断層があると発表しました。何としても止めたいと函館地裁に裁判を起こし、現在二次提訴中です。12月には、1000名にして第三次提訴を考えているので協力をいただければと思います。
今朝の新聞でマダラが102.07ベクレルというような数字を見て、またかと感じました。津軽海峡は北の寒流と南の暖流が混ざり魚がいっぱいに取れる所で、もしも放射能漏れがあれば函館の漁業関係者は大打撃を受けます。函館は農業も盛んです。観光でもっている街でもあり、観光客の激減も当然考えられます。更に大きな事故があれば、函館方向に風が向かってきたときに8000人が即死状態になるだろうと言われています。道南は壊滅的状況になります。
世界初のフルMOXで炉に欠陥をもった原発、活断層の問題、世界で初めて火山帯の上にできます。電源開発は、9月28日に工事再開を表明しました。30日に300名で緊急集会を行い、電源開発が函館市に説明に来た時には、市役所玄関前で抗議集会を行いました。今まで何の説明もせず、自分たちの都合のいい時だけ来るという、非常に憤慨しました。函館市長は道南全ての市町村長の意向をまとめ、漁協関係も早くから反対表明しており、裁判を起こしたいとしています。
毎週金曜日、市役所前で反対ウォークを続けています。11月3日1000名規模の集会にも参加します。青森との交流も考え、今年は大間現地でデモをしました。止まるまで頑張りたいと思います。


【核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会 久世 薫嗣さん】
私たちの闘いは30年にも続くものでした。311事故は原発の悲惨さを知らしめ、今も事故は収束していません。原発の中にたくさんの使用済み燃料があることが分かりました。政府は最終処分を決めていないと言っていましたが、実は30年前に決めており、全国調査はもうやられていました。唯一ねらわれたのが幌延町です。孤立無援の闘いでした。
2000年に「貯蔵工学センター計画」があったものが白紙になり、その後、研究所だけ認めて欲しいと始まりました。その時、私たちは敗北しました。その敗北の原因は多数決民主主義です。道の人口は550万人、幌延のある宗谷管内は7万人、幌延は2600人です。道議会で圧倒的に負けました。「核は持ち込まない」と言いながらも研究は始まっています。3本目の立て坑が掘られている現実です。その時、原発事故が起きました。核燃サイクルの破綻も明らかになりました。これを機に、「核のゴミ持ち込みを北海道入れさせたくない」と闘いを新たに感じました。私たちだけの力では弱いです。全道の皆さんが一緒に闘わなければ勝てません。
高レベル放射性核廃棄物・使用済み核燃料の無毒化には10万年、100万年もの時間がかかります。放射性廃棄物は簡単には処分できません。今は管理するしかありません。私たちは提案しています。放射性廃棄物や核は発生した場所から移動させないことです。泊・福島にとっても過酷な問題だが考えなければなりません。原発は止まっても放射性核廃棄物は残るという現実を、子・孫たちの世代に闘いとして続けていかないと勝ち取れないと思います。「私たちの世代はこんなものをつくってしまった。しかし、日常的な闘いなくして勝ち取れない」ということをみんなで確認して、生活そのものを変える中からこの闘いを勝っていきたいと思います。