報告 被爆67周年原水爆禁止世界大会
掲載日:2012.08.17
被爆67周年原水爆禁止世界大会
-7月28日福島大会・8月4日~6日広島大会・8月7日~9日長崎大会-
<福島大会>
7月28日、福島市の福島県教育会館で「被爆67周年原水禁大会・福島大会」が開催され、福島県内や全国から1,050人、北海道からは自治労や道南フォーラムなどから5名が参加しました。昨年3月の東京電力福島第一原発事故を受けて2度目の開催。
集会では、「早期の事故収束と被災者への謝罪・賠償を求めるとともに、『命』を守るために脱原発に向けて福島から声を上げ、政策転換に結びつけよう」と確認しました。
また、元原子力プラント設計技術者の「後藤政志」さんが「福島原発事故の現状と再稼働の危険性」と題して講演を行い、「福島原発事故は未だに収束しておらず、事故原因も特定できていない。国会事故調は”津波が原因“とは言い切れず、断定できないが配管破断の可能性があるとした。また、地震国日本で安全な原発はない。放射性廃棄物の処理の見通しも立てっていない」などと、原発の危険性を強調しました。
大会後、参加者は38℃の猛暑の中、「原発のない福島を!」「再稼働をやめろ!」などとシュプレヒコールをあげ福島市内をデモ行進しました。
<広島大会>
8月4日から6日にかけて被爆67周年原水禁世界大会・広島大会が開催されました。今年も原水禁北海道(北海道平和運動フォーラム)・連合北海道・北海道核禁会議の3団体で「北海道統一代表団」を組織し、子ども25名を含む102名が参加しました。
8月4日、代表団は、広島市内に到着後、16時15分からの「折鶴平和行進」に参加し、平和公園から広島県立総合体育館まで「核兵器をなくそう!」「原発震災を繰り返すな!」などとシュプレヒコールや横断幕などでアピールしました。
17時30分からは総合体育館で、原水禁・連合・核禁会議の主催による「核兵器廃絶2012平和ヒロシマ大会」が開催され、全国から6,500名が参加しました。主催者あいさつで、連合の古賀伸明会長は「中長期的に原子力エネルギーに対する依存度を低減し、最終的には原子力エネルギーに依存しない社会をめざしていく必要がある」と述べました。また、閉会挨拶で、川野浩一原水禁議長は「原発事故を契機にエネルギー政策のあり方を考え直してほしい」と呼びかけました。
第2日目(5日)は、課題別の分科会やフィールドワーク、国際会議、子どものひろば&メッセージfromヒロシマが開かれました。
「脱原子力2-地震と原発そして再稼働」の分科会では、長澤啓行・大阪府立大学名誉教授が講演し、再稼働された大飯原発をはじめ全国各地の原発で敷地内の活断層が指摘されている現状から「地震の巣の上に立つ原発は動かすべきではない」としたうえで、「福島第一原発で観測された東北地方太平洋地震の地震波は、新耐震指針による見直し評価地震波より3~4倍も大きい。安全審査で地震動はひどい過小評価されている」として「安全審査」そのものに疑問を呈しました。また、北海道から長田・道平和フォーラム事務局長が「泊原発の3つの活断層問題と幌延の深地層研究所計画の動向」について報告しました。
子どもたちは「子どもひろば」に参加し午前中は慰霊祭、平和公園内の慰霊碑めぐり等、午後からは若者や高校生が企画運営する「メッセージfromヒロシマ」へ参加しました。そこでは、日本や韓国、フィリピンからの参加者を含め、一緒に遊びながら平和を考え、メッセージを世界の核保有国に送りました。
「子ども慰霊祭」では道南から参加の高橋智也さん、尚也さんが、「メッセージfromヒロシマ2012」では江別から参加の長場桜さんがそれぞれ元気にアピールを行ってくれました。
最終日(6日)は「まとめ集会」が開かれ、川野浩一・大会実行委員長が「福島原発事故では広島原爆168発分の放射能が放出された。広島・長崎の経験を生かし、被害を最小限にとどめなければならない。早急に脱原発社会の実現をめざそう」を訴えました。
また、藤本康成・大会事務局長は「原発や公害に代表されるような人々の犠牲の上に立った経済や政治から転換しなければならない。脱原発と再生可能エネルギーの拡大、核廃絶、ヒバクシャの権利拡大など、私たちの運動の正しさに自信を持って新しい社会をめざそう」と本大会のまとめを行いました。
最後に、「67年前のヒロシマの経験を原点に、さらにフクシマを胸に刻み、核も戦争もない平和な21世紀を子どもたちに贈ろう」とのヒロシマアピールを採択して、3日間の広島大会を終了しました。
<長崎大会>
8月7日から9日にかけて被爆67周年原水禁世界大会・長崎大会が開催され、北海道から15名が参加しました。第1日目(7日)は、長崎へ原爆が投下された爆心地公園で開催された「オスプレイ配備と原発再稼働は許さない!脱原発!脱基地!ナガサキ集会」でスタートし、長崎県立総合体育館まで「すべての原発を廃炉に!」「オスプレイ配備は許さない!」などとシュプレヒコールをあげデモ行進しました。
その後、3団体主催の「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」が県立総合体育館で開催され、4,500名が参加しました。
開会あいさつで川野浩一・原水禁議長は「福島原発事故を契機にエネルギー政策をどうするか真剣に考えなければならない。そうした中、政府は、原子力基本法で核兵器開発につながる改訂を行った」と厳しく批判しました。現地からは、中村法道・長崎県知事、田上富久・長崎市長が来賓あいさつを行いました。
毎年、国連の欧州本部を訪ね、核廃絶の署名を提出する「高校生平和大使」に今年は16人が選ばれ、大震災で被災した岩手県立釜石高校の菊池のどかさんは「国際的な支援に感謝しながら、核兵器廃絶を訴えたい」と決意を述べました。
歌と被爆体験記などの朗読で物語を構成した「構成詩 親子で綴る平和の願い」が地元長崎の100名の参加者で発表されました。最後に、「核兵器廃絶と世界の恒久平和の実現をめざして、2015年のNPT再検討会議へとりくみを強化する」との平和アピールを採択し大会を終了しました。
2日目(8日)は、分科会やフィールドワークが行われました。「脱原子力1-福島原発事故と脱原発社会の選択」の分科会では、ドイツ緑の党のベーベル・ヘーンさんが、日本より10年早く制定した「再生可能エネルギー法」によって、ドイツは政策として「原発をなくすこと=再生エネルギーを増やすこと」をすすめ、10年間で原発は30%から18%へ、再生可能エネルギーは1%から25%に達成したことを報告しました。また、原子力に対する経済的な主張に対して、「原子力は、再生可能エネルギーのイノベーションを遅らせ、むしろ経済成長の妨げになる」と述べました。
最終日(9日)は、北海道代表団は、早朝8時に被爆地である「淵中学校」で慰霊碑墓参を行いました。その後、長崎大会のまとめ集会を行い、全国から2,000名が参加しました。川野浩一・大会実行委員長は「原爆も原発も同じ核だ。世論は脱原発に向かっている。私たちはその先頭に立とう」とあいさつしました。
オスプレイ配備問題を抱える沖縄から、屋良チエミ宜野湾市議が「沖縄県民一丸となって、危険なオスプレイの配備を許さない。本土でも飛行訓練がある。みんなで阻止しよう」と訴えました。また、福島フォーラムの渡部英明事務局長は「原発事故で16万人が避難を余儀なくされている。原発は原爆と同じく人道に反するものだ。福島は脱原発の先頭に立つ」と決意を述べました。
集会後は、爆心地公園まで「非核平和行進」を行い、原爆投下時間の11時02分に黙とうし全日程を終了しました。