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報告 5・15沖縄平和行進

掲載日:2010.05.20

1_20100531-P1080310★米軍普天間基地を17,000人で完全包囲!★
-降りしきる雨は県民の怒り-
 5月15日、33回目の沖縄平和行進が実施されました。普天間基地移設問題が大きく取りあげられる中、今年の平和行進は全国から3000人近く、県内からも3000人近くが参加し、雨の降り続く中で実施されました。北海道からは全道各地から自主参加を含め合計40名が参加しました。


例年であれば暑さと紫外線対策に万全を期しての参加となるところですが、今年は既に梅雨入りしていることから雨に対する準備をしての参加となりました。北海道団は例年通り、1日目は独自行動を行ない、ひめゆりの塔や平和の礎、ガマの見学などを行ない平和行進参加への決意を固めました。

2日目は北谷町役場前に集合し、出発式の後、北海道団を先頭に全国各地からの参加者が60年・70年の安保闘争を思い起こさせる「安保粉砕」と「基地撤去」のシュプレヒコールで行進が始まりました。出発直後の雨が次第に小雨に変わり、給水の後は薄日が差す程度まで天候が回復しました。北海道団はカッパを脱ぎ、普天間基地のゲート前では西コース参加者約1000名による力強い基地返還を求めるシュプレヒコールを繰り返しました。しかし、昼食場所の宜野湾市役所に着く頃には激しい雨と風に見舞われました。昼食の後も風雨は一層ひどくなり、参加者は重くなる靴とズボンにすっかり体力を消耗しました。行進の足取りも重くなり、集会場所の宜野湾臨海公園に到着する時刻は大幅に遅れました。右翼団体も雨のせいか今年はほとんど見かけることはありませんでした。
臨海公園についた頃からますます風雨が強まり、来賓の挨拶、大会宣言も短縮しなければならないほどで、激しい風雨はまるで沖縄県民の怒りを表しているかのようでした。
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-普天間基地を完全包囲-
 翌日の普天間包囲行動は朝から激しい風雨のため、実施できるのか不安を抱えながら出発集会へ向かいました。事務局が下見に臨海公園へ着くと会場周辺の道は池のような状態で、集まった参加者も前日の4000人に比べるとはるかに少なく、「これでは包囲できないのではないか?」と心配になりました。しかし、実行委員会の配慮で昼食会場が変更されたため、多くの参加者は昼食と待機のため近くのホテルにいることが分かり一安心しました。バスの中で出発まで待機して、普天間基地包囲デモに合流しました。この時も、激しい風雨で雨水升から下水があふれ出ているほどでした。北海道団は国道58号線にほど近くの最も平坦な場所になり、地元青年団レンジャーの指示を受け包囲の準備をしました。そして、14時に第1回目の包囲行動を行ないました。近くのお寺の協力で鐘が鳴り渡る中、2分間の包囲を行ないましたが、この時は2カ所で繋がらなかったことを後で知りました。私たちは目視できる範囲しか包囲行動を見ることができず不安を抱いていましたが、待っている間、他府県参加者や地元沖縄県住民参加者と交流できたことは心強かったです。14時半に2回目の包囲が行なわれた後に、実行委員会宣伝車の「普天間包囲の人間の鎖は完全に繋がりました」との報告に大きな歓声が上がりました。私の右手は目の前の家に住む70歳の沖縄のおばあとつながり、左手は和歌山県の自治労組合員とつながり、心は全国の米軍基地に反対する人々とつながりました。15時には最後の包囲行動であちこちでウエーブも起こり、包囲行動の成功を喜び合いました。

-沖縄の痛みを感じて-
 私たち北海道団は経験したことのない激しい風雨の中での平和行進にかなり疲れました。しかし、海兵隊のヘリコプターの騒音といつ事故が起きるか分からない「世界で最も危険な基地」で毎日苦しんでいる沖縄県民のことを考えるとそのつらさはわずかです。
私たちの足の痛みは数日で消えますが、米軍基地で苦しむ沖縄県民の痛みはいつになったら消えるのでしょうか。米軍基地は「県外移設」ではなく「国外移設」へ、そしてこの地球上から無くしていくことが沖縄県民の願いであることを強く感じた今年の平和行進でした。




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