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「原発さえなければ」~「さようなら原発北海道講演会」に600名

掲載日:2013.03.26

東日本大震災・東電福島第一原発事故から2年を迎えた3月11日、「さようなら原発北海道講演会inさっぽろ」を札幌市・かでる2.7で開催し、約600名が参加しました。

 集会冒頭、東日本大震災で犠牲になった15,882名の尊い命のご冥福を祈り参加者で黙とうをささげました。その後、「さようなら原発1000万人アクション北海道」の「呼びかけ人」である北海道大学名誉教授の「小野有五」さんと北海道生活協同組合連合会会長理事の「麻田信二」さんより発言がありました。
 続いて、「フクシマ原発震災~ファインダーの向こうとこちら」と題して、フォトジャーナリストの「豊田直巳」さんが講演しました。豊田さんは、「3.11」の翌日の2011年3月12日には福島原発のすぐそばまで接近し取材を始めました。放射能測定器は警報を発し続け、その針は振り切れたまま動かない、まさに「命がけ」の取材でした。以降、福島での取材を重ね、「生活の痕跡を残しつつ人影の消えたまち、放射能汚染や行政の対応に翻弄される住民、廃業を迫られる酪農家、作業員の語る原発労働の現状」など、「フクシマ元年」を、そして「原発発震災のまち フクシマ」の現在をスライドとトークで問い直しました。
 最後に豊田さんは、「(フクシマの)子どもたちは故郷を失っただけではない。残念ながらみんな被ばくしてしまったということを思った時に、私たちが何をしなければいけないかということの(『原発さえければと思います』との書き置きを残して自殺した酪農家の)『遺言』のようなものを感じる。皆さんと一緒に今のこうでない世の中に変えていきたい」と結びました。
 「さようなら原発1000万人アクション北海道」実行委員会の主催(事務局:北海道平和運動フォーラム)。

【北海道大学名誉教授 小野有五さん】
 ちょうど2年前の3月18日、北大を定年で辞めるということで、記念講演会を予定していました。そうしたら「3.11」が起きてしまいました。開催するかどうか迷ったのですが、札幌の市長さんが講演に来てくださるとわかったので、東北の支援をお願いするいい機会と考え実施しました。募金をしたら10万円くらい集まったので、自分たちの手で被災地に持っていこうと、「東日本大震災市民支援ネットワーク(通称「むすびば」)」という組織をつくりました。最初の数カ月は必死になって人を派遣し、私も行きましたが、5月・6月になると、福島県やその近隣から札幌市に避難してくる方が増えてきました。私たちは一番苦しんでいる人、弱い人に手を差し伸べようと決めていたのですが、一番困っている人というのは、やはり福島から避難してきている人なのです。ほとんどが小さいお子さんと若いお母さんばかりです。お父さんは動けなくて、現地にまだ残っている。そういう方たちを中心に支援してきました。
 福島第一原発では、この瞬間にも放射性物質は出続けています。決して良くなっている訳ではないのです。でも福島の原発は日本に一番東で太平洋側にありましたから、8割方の放射能は太平洋に出てしまいました。もちろんその太平洋の汚染というのは、またこれから大変ですが、一方、泊原発は北海道の西端にあり、事故を起こせばこれはもっとひどいことになります。北海道は西風が多く、西風が吹いたら札幌は直撃です。泊原発から札幌までたった65キロです。福島第一原発と福島市が60キロですから、ほとんど今の福島と同じような状況になってしまいます。距離は同じですけれども、第一原発から福島の方に行く風はそれほど多くない、けれども北海道はだいたい西風ですから、もっとひどい状態になります。
 さらに、泊原発では活断層が本当にすぐそばを通っています。泊原発が出来た時にはまだわからなかったんです。残念ながらその当時はまだそれがわからなかった。1993年の北海道南西沖地震が起きて初めてわかったのです。ですから、地球科学が進歩してくると、とてもこんなところに原発をつくるべきではなかった、ということが今では明らかになってきているわけです。当時は、日本海側にはプレート境界がないといわれていましたが、大きな地震がまさに立て続けに起きたことで、ここが境界だとわかったのです。
私たちは北海道にいたおかけで、今、健康被害もなく生きているわけです。わたしたちは今、何ができるのでしょう。子どもたちのために、この北海道を安全な場所にしておくために、日本中のために、そして世界のために、北海道を安全な場所にしておくために何ができるでしょう。これをぜひ、みなさんも考えていただきたいと思います。
 3月9日には東京に行ってきましたが、明治公園に1万5000人の方が集まって、「1000万人アクション」の全国集会をやりました。日本中の人たちが手をつないで、「3.11」をくり返させないために、原発を1日も早くとめるために、みんなで頑張りたいと思います。

【北海道生活協同組合連合会会長理事 麻田信二さん】
 昨年12月の総選挙で自民党が大勝し安倍首相が再登場しました。12月末の読売新聞で安倍首相が「原発を今後もつくっていく」と発言したということを読んで本当に惨憺たる気持ちになりました。
 私は酪農学園の仕事もしています。酪農学園を創立した黒沢酉蔵という方は、「健土健民」ということを常に話した人です。そして北海道を東洋のデンマークにしようと、こういう理想をもって、北海道の発展に大きく貢献しておられました。この「健土健民」というのは、「国土は国民の母体であって、健全なる国土からは健全なる国民が生まれる。不健全な国土からは不健全なる国民が生まれる。」ですから、「国土を汚染しては国民の健康は守れない。化学肥料や農薬を大量に使う日本の農業は、農業の鉄則を踏みにじった、邪道農法である。日本民族の命の糧である食料まで毒化するに至った。」こう言っています。そして有機農業の必要性を訴えた先駆者です。
 この黒沢酉蔵の思想はどこからきたのかといいますと、足尾鉱毒事件で鉱山の操業停止を死罪覚悟で、明治天皇に直訴した田中正造のもとで、4年間鉱毒事件に深く関わったところからきています。田中正造は「大地を冒すものは国を滅ぼす。真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざる」と言っています。
 原発事故があり、放射能がまき散らされ、大地や山が汚染されました。数十年も住民が戻る見通しが立っていないのに、大間原発の建設を再開し、原発が稼働していないということから電気料金の値上げが必要だ、そういうことで経済界も1日も早い原発の再稼働を要望し、命の安全よりも経済が優先される、そういう姿勢というものは富国強兵の名のもとに、鉱毒が山の木を枯らし、農地を汚染し、人を殺しても足尾銅山の操業を続けたことと、私は同じことだと思っています。
 その結果、日本はどうだったでしょうか。太平洋戦争で敗戦し、日本の国が滅びたわけです。田中正造の言った通りになりました。しかし、被爆国であり、第五福竜丸の被爆、そして死亡者も出した、そういう経験をしてもなお、その後すぐ、当時の若手国会議員であった中曽根康弘氏らが中心となって、原子力の平和利用ということで補正予算を国会で通します。その後、正力松太郎という人が国会議員になって原発政策がどんどんと推し進められました。その結果が、今日の福島原発の重大事故を招いたわけです。原子力の火を人類が完全にコントロールすることなどはできません。事故をゼロにすることなどはできません。そんなことは明らかです。
 また日本は、最終的な核のゴミの、原発のゴミの処分の見通しも全くたっていません。絶対多数をとった現政権は、原発をゼロにするどころか、新設まで公言しています。地震大国日本の原発稼働は、いつも事故と隣り合わせで私たちは暮らしているということです。地質学的にも核廃棄物を埋める場所のない日本においては、子どもや孫たちに本当に処理のできない、膨大な危険なゴミを永遠に残していくということです。私はなぜ今の政権が、原発を維持しようとしているのか。その中には、日本が核武装の潜在能力を持ちたい、という思いもあるのではないかとも考えています。
 北海道が目標にしていたデンマークは食料自給率300㌫です。北海道は200㌫です。デンマークのエネルギー自給率は今、150㌫を超えました。デンマークは第一次オイルショックの時にはわずか2㌫の自給率しかありませんでした。しかし、デンマークは原発をつくらずに進みました。北海道には、デンマークにはない山があり、バイオマス資源がたくさんあります。そして、水にも恵まれています。太陽があり、周囲を海に囲まれ、風もたくさんあります。デンマークよりも多くの自然の資源をいっぱい持っているのです。北海道は、独立国として食料とエネルギーを完全に自給している、デンマークのように原発なしでも充分やっていくことができる地域であります。ですから、日本全体の脱原発のモデルに北海道はならなくてはなりません。しかし先程、小野先生が話しましたが、もし泊原発に事故が起きたらどうなるでしょう。北海道の基幹産業である農業は壊滅します。観光も全滅します。北海道は本当に、どうにもならなくなってしまうことは明らかです。TPP問題や原発政策での現政権の対応をみる時に、日本はアメリカの利益のために動いているようにしか見えません。国民の命や生活といったものはどうでもいい、一部の企業の利益のために動いているというふうにしか見えません。このことは本当に田中正造の言ったように日本を滅ぼすことにつながるのではないかと思っています。
 子どもたちの未来を、絶望の世界にしないためにも原発にさようならを言わなければなりません。それが、被爆国の日本の国民として福島の原発事故を目の当たりに見た私たちに課せられた責任であると思っています。脱原発を実現し、自然エネルギー中心の北海道を実現するために、皆さんと共に一緒に頑張りたいと思いますので、皆さんも頑張りましょう。